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| 正式国名: | ベネズエラ共和国 |
| 面積: | 912,050平方キロメートル |
| 人口: | 21,051,000人(増加率2.4%) |
| 首都: | カラカス(人口:3,435,795人) |
| 人種: | メスティソ67%、ヨーロッパ系21%、アフリカ系10%、インディオ2% 種々の半遊牧半採集民族アメリンディアンが200,000人いる。 |
| 言語: | 公用語はスペイン語。民俗言語のアラワク語圏、カリバン語圏、チブチャ語圏に属する30以上のアメリンディアン語も残っている。 |
| 宗教: | ローマカトリック96%、プロテスタント2% |
| 政体: | 民主主義 |
| 大統領: | ラファエル・カルデラ |
ベネズエラの気候は主として熱帯性気候で、温暖な地域が海岸沿いに広がっている。気温は数度の変化しかなく(カラカスで摂氏18.3〜20.6度、マラカイボで27.2〜29.4度)、ベネズエラの気候帯は熱帯雨林とされている。北部海岸の低地は比較的乾燥しているが、熱帯雨林地域がヤノスからギアナ高地に延びていて、年間降雨量は1,500mmに達する。乾季(ベラーノと言う)は12月から4月にかけてで、残りの期間は雨季(インビエルノ)である。アマゾン地域には乾季が無く、年間降雨量は2,000mmに達し、一年中雨が降っている。旅行、特にハイキングを計画しているなら乾季の方が適している。
先住民族は、黄金郷エル・ドラードを探して前進しながら殺戮と破壊を繰り返したスペイン、ドイツ両国の入植地に対して戦いを挑んだ。しかし多くの部族がヨーロッパの天然痘のような病気の犠牲になりカラカス渓谷だけで3分の2の人口が死亡したため、最終的に鎮圧されてしまった。
しかしながらベネズエラに略奪されるような富が無かったためすぐに無視されるようになり、南米生まれのスペイン人エリートの不平不満を募るようになった。そして若いシモーン・ボリーバによってスペインの統治者はとうとうその支配を諦めた。1821年、イギリスの傭兵とロス・ヤノスから来た騎馬隊の助けを借りてバレンシアの近くカンポ・カラボロの戦いで決定的な勝利をおさめ、彼はベネズエラをスペインから奪い取った。ボリーバは既にコロンビアを独立させ、続いてアントニオ・ホセ中尉と共にエクアドル、ペルー、ボリビアを自由にした。彼のコロンビア、ベネズエラ、エクアドルを統一するという大コロンビア合衆国の夢は、1830年の彼の死とともに葬られたが、その年ベネズエラは新憲法の下完全な独立を果たした。
独立後は軍事独裁、政治クーデター、経済混乱にみまわれ、マラカイボ盆地に原油が発見され1910年代にある程度の繁栄をもたらすまで続いた。1920年代の終りまでにベネズエラは原油の世界最大の輸出国になったが、その富はほとんどは一般市民の手に渡らなかった。貧困の蔓延と教育・保健施設の不備の中、市民の反乱が頻発し、1947年の最初の民主的選挙で最高潮に達した。
最近の政治的安定にも関らず、ベネズエラの政治環境は汚職スキャンダルと軍部クーデターの脅威にさらされ続けている。この国の経済は1988年の原油価格の下落により打撃を受け、不安定さを残している。1994年のカルデラ大統領の経済投機と自由に対する強行措置は自由主義者を激怒させたが、一般市民の反発を招いたのは1996年になってからであった。政府は強行な政策でベネズエラの激しいインフレと危機的な通貨の暴落に対抗しようとしたが、肥大した役人たちはスリム化に抵抗した。ベネズエラの根深い時代錯誤の経済文化が黒字という勇気ある新しい世界に向かうものか、注意深く見守る必要がある。
| GDP: | 590億ドル、世界38位 |
| 国民一人当たりのGDP: | 2,900ドル |
| 経済成長率: | -1% |
| インフレ率: | 66% |
| 主要生産物/工業: | 原油、鉄鉱石、穀物、果物、砂糖、コーヒー |
| 主要貿易相手国: | アメリカ合衆国、ドイツ、日本 |
ベネズエラではほとんどの人がスペイン語を話すが、一部の部族の間で25種類ほどの言葉も使われている。都市部では英語を話せる人もいる。
ビジュアル・アートと手工芸が盛んだが、特徴的なのはヨーロッパ、アフリカ、先住民族の影響を受けた電子音楽であろう。演劇も人気が出ており、比較的若い世代によって文学作品の上演が活発に行われている。
ベネズエラの食事は主にパンケーキ、鶏肉、豚肉、牛肉、スープ、シチューで構成される。旅行者はスープとメインコースの出るとても安いセットメニュー「今日の料理」を出すレストランを探すと良い。ベネズエラ料理はエンパナダス(挽肉、チーズ、豆または小サメを挽きトウモロコシで重ねてよく揚げたもの)、パベリョン・クリオリョ(細切れ肉、米、ブラックビーン、チーズ、plantain揚げで作った国民的料理)である。
ローマカトリックの強い影響の下で、その他の祝祭はキリスト教の暦に関係している。イースターに始まり、クリスマス、聖体祭など熱狂的に祝われ、一年を通じて色々な聖人の日がある。
| ビザ: | アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、その他西欧諸国およびスカンジナビア諸国の国籍を有する者はベネズエラに直接飛行機で入国する場合はビザは不要。陸路で入国する全ての外国人は有効なビザが必要。 |
| 疾病: | コレラ、デング熱、肺炎、マラリア、黄熱病 |
| 通貨: | ボリーバ |
| 交換レート: | 1ドル=472ボリーバ |
| 参考コスト: |
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| 時差: | 世界時−4時間 |
| 電気: | 110V、60Hz |
| 度量衡: | メートル法 |
| 旅行者数: | 550,000人(1991年) |
見所は17世紀大聖堂のあるボリーバ広場、シモーン・ボリーバの生家、パリの聖堂を模した19世紀新ゴシック様式の教会サンタ・カピーヤ、前の指導者ホアキン・クレスポのミラフロレス宮殿、著名なベネズエラ人が葬られているPanteon Nacional、植民地時代の面影を残すペタレス地区、現代のカラカスの味覚を提供する中央市場である。
ほとんどの安いホテルは健康的でない郊外の、場合によっては危険な場所にある。最適なのは多分サバナ・グランデであろう。強盗やこそ泥が横行しているので常に身の回りに注意を払うこと。
ナイトライフはラス・メルセデス、エル・ロサル、ラ・フロレスタ、ラ・カステヤーナに集中している。グリニッジ・パブでビールを飲むもよし、あるいは本物のジャズが聞けるフアン・セバスチアンに行くのも良いであろう。
ボリーバの町を訪れるほとんどの人は、7つの著名な滝が連なる川に沿った壮観な町カナイマに行っている。その側の支流には世界最長落差807m(ナイアガラの滝の16倍)のエンゼルの滝がある。さらに南西に行くと、テピュイスとシマスのある魅力的な風景の楽しめるグラン・サバンナがある。
ベネズエラ、ギアナ、ブラジル国境にまたがる280平方キロメートルの高原はロライマと呼ばれ、トレッキングや植物に興味を持つ旅行者に人気が出ている。ハイキングは往復で5日間かかるが、最後の2日間は習慣に従って地元のガイドを雇わなければならない。行程は雨に悩まされるが、登山は魅力的で台地の頂上の月面のような風景は黒ずんだ岩、ピンク色のビーチ、奇妙な植物でSF的な夢のようである。
非常に印象的で写真映りの良いグラン・サバンナにある滝がサルト・アポングアオである。しかし、時間と労力を惜しまない限りそこに行くのは難しいであろう。そこにいく一つの方法は、まずハイウェイを離れてインディオの村イボリボに来るまで舗装されていない道を40kmほど走る。次に、クリアナというカヌーに乗って半時間ほどかけてリオ・アポングアオを渡ると滝である。その他、ボートで直接そこまで行き、歩いて帰る方法もある。どちらにしても105mの滝は見事である。案内標識のある道を通って滝に行き、自然のプールで水浴びしたり泳いだりできる。近くには滝と田舎の風景を楽しめる田園風のキャンプ場がある。
海路からの入国はメキシコ湾沿岸のいくつかの港から貨物船に乗ってアメリカ合衆国経由で可能である。その他、フェリーがレッサー・アンチレスから就航しているが、ベネズエラ〜オランダ・レッサー・アンチレス以外の航路は無い。
陸路では、コロンビアとブラジルから道路があるが、ギアナからは通じていない。危険なエル・アンパロ・デ・アプレ〜アラウカ国境やプエルト・パエス〜プエルト・カレーニョ国境を越えてコロンビアに入国するなら安全状況について大使館と相談するべきである。1995年5月、コロンビアゲリラがベネズエラの陸軍駐屯地を襲撃した結果、国境の両側の軍に対立が生じている。
鉄道が無いのでベネズエラの移動はバスに頼ることになるが、速く効率的で気持ちの良いサービスである。国中のあらゆる場所にカラカスのバスターミナルからバスが頻繁に出発していて、競争の結果比較的安い料金になっている。
自動車の運転やバイクでの移動はさらに自由な旅行を約束するが、自動車を持ち込んだり現地でレンタカーを借りたりするのは高いコストがかかる。更に、現地のドライバーは交通法規を無視しがちなので多少の危険を伴う。国境警備隊や警察に停止を命じられたら指示に従い書類を用意すること。相手には丁寧に言う通りにすること。へたな抗議をして過去に撃たれた例もある。